【前編】では、人形供養体験のあらましをご紹介しました。
後編では、その中で応じた心理についてのお話です。
【人形に人を思う】
長年使っていないもの、不要なものはゴミとして処分します。
でも、人形は特別で、粗大ごみに出せるかと言うと、出しにくいものがありますね。
ポンと、他のゴミに混ざって置かれていたら、いたたまれなく感じてしまう。
人形を特別に処分したいな、という思いはどこからくるのでしょうか。
今回の私のように、いざ処分する時になると「可哀想」と思ったり、私は思わなかったですが、中には「人形を捨てると祟りがあるのでは」と感じる人もいるようです。
お寺に行く当日、雪が降って「これは、今日行ったらダメということかも」と思ってしまったのは、現実的に滑るから、危ないからということもありますが、一瞬「人形が行きたがっていないからではないか」と勝手に結び付けてしまったのも、いなめません。
このように、勝手に哀れんだり、怖がったり、不安になったりするのは、この人形に人間と同じような人格があると思ってしまうからかもしれません。
また、その時に感じる思いは、自分がそうなった時の思いかも。
手放す=見捨てられるかもしれない、と思ったときに悲しく思ったり、「呪ってやる」と感じるくらいの怒りがあったり、「私はどうなるの」と不安に思ったり。
人形供養では、そのような人が感じる思いを「儀式」としてピリオドを打ってくれました。
きちんとした段取りに乗っ取ることによって、お別れに対するネガティブな気持ちをしっかり感じ、それぞれの心の中で、ゆっくりお別れをしていく。
そして、消滅するまで、しっかり儀式を体感することによって、「ちゃんとお別れが出来た」という気持ちになれることが大切なんですよね。
私のようなグズグズと引きずってしまう人間にとっては、このピリオドの打ち方は合っていました。
でも、中には強い方もいて、「日本人形であっても、ぬいぐるみであっても、ゴミで出す。無料で処分できるし」という人もいます。
私からすると、メンタル強いな~と思います。
儀式を通さなくても、自分だけで人形への思いを断ち切れる人です。
この方々は、もし捨てた後に何か(トラブルなど)あっても、人形を捨てたからだ、という発想がありません。
祟りを信じている人は、何かあったら「人形をごみとして捨てたから罰が当たったんだ」と捉えがちになります。
【物には魂が宿る】
人の形をしたものには魂が宿る、と言われることも一般的に知れ渡っていて(信じる信じないは別として)、特別な思いに繋がっていると考えられます。
今回もお寺の住職さんのお話で、「人形だけでなく、全ての物を大切にしてください。人と物が出会ったとき、物に重量が増えるという科学的な証明もあるんですよ」と教えてくださいました。
物を大切にしないといけない、と再確認しました。
(『物をポイポイ捨てる時もあるから、ばれてるのかしら』とビクッとしました。)
これも、体験談としてよく聞くお話ですが、電化製品、車などを処分しようと考えた時に起こる、物の変化です。
物の方が処分されることに気づいて、壊れるようになったという、物が自分の寿命を自覚するパターン。
反対に、私がよく感じるのは、復活パターンです。
「パワーが弱ってきたな、もう買い替え時か?」と思った時に、最後のひと踏ん張り、元気になってくれる。
それで、「じゃあ、まだ使えるし、買い替えは止めよう」と思うことが多いです。
皆さんは、そんな経験はありませんか?
物を擬人化してしまっている例ではありますが、いろんな意見を聞くと、ちょっと面白いですね。
このような事も、心理の世界から見ると、人それぞれの価値観からそう見える、という話になります。
でも一方で、物にも魂や意識が宿るという考え方も、日本人が遺伝子レベルで持っているところのような気もします。
【人に魂が宿る不思議】
物に魂が宿る、というのと逆で、「人に魂や意識があるのが理解できない」という考えを持つ人も、中にはいます。(哲学的ゾンビ論)
自分自身が考えたり、感じたりすることは、(体感があるので)まだ理解できるけども、自分以外の人が、同じように感じたり考えたりして生きているっていうことが、不思議な感覚なのだそうです。
「人って、なぜ生きているの」ということに似た、哲学的な考え方ですね。
思春期の人たちには、おこりがちな疑問の一つかもしれません。
(注:人によって、答えは変わってきます)
【まとめ】
今回の物を処分ということだけでも、人それぞれ思いが違うことが分かりました。
処分ができやすい人が良いというわけでも、出来ない人がダメという訳でもないんだと思います。(色んな思いが、それぞれあるから)
でも、強く感じたのは、「綺麗に保存されていていても、自分にとって不要なものは不要だ」と分かったことです。
たくさん綺麗に保存されたぬいぐるみも出てきましたが、どう考えてももう、これを部屋に飾ることはないのです。
年齢関係なく物というのは、自分の人生の流れ(成長)と共に、必ずや不要になるものは出てくるんだと分かりました。
その時が、処分の時なんだと、自分の基準として持つことが出来ました。
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